私の街の震災の影響ー1年後の大きな地震
昨日の夜は大きな地震がありました。揺れ具合はあの震災の時からしてかなり大きな
もので、こどもたちにヘルメットをかぶせて玄関から出られるように身構えました。
まだあの震災は終わっていない現実があります。放射性物質の汚染や瓦礫の未処理
による問題、そしてみんなの心にある大きな地震の不安、2年目が始まりました。
昨日の夜は大きな地震がありました。揺れ具合はあの震災の時からしてかなり大きな
もので、こどもたちにヘルメットをかぶせて玄関から出られるように身構えました。
まだあの震災は終わっていない現実があります。放射性物質の汚染や瓦礫の未処理
による問題、そしてみんなの心にある大きな地震の不安、2年目が始まりました。
昨年の大震災の直後に、我が家の災害に対する備えが十分役立ったのか振り返ると、準備していたものが
必ずしも十分なものではなかったことに気づきます。
どんな備えが足りなかったかというと、まず電池の備蓄で特に単1、単2が足りなかったと思います。懐中電灯
や家のちょっと大きめのラジオは大きな電池サイズだったので、単3、単4の電池で役立たなかったのでした。
そのあと未曾有の品薄が起きて、せいぜい単3の電池を単2で使えるアダプタを入手できたくらいでした。
我が家は幼い子供たちがいて、あの頃は子供たちもとても不安がっていたときにおもちゃで遊んでいるときが
不安を忘れることができる時間だったようですが、おもちゃの電池はけっこう単1、単2が使われていて、
これは死角だったとそのとき感じたものです。
1年経つ今、次に起きるだろう災害に対する備えをチェックしないといけないと感じます。
去年の今頃は家族でスキーリゾートに遊びに行って、天気が良くて雪もきれいで、そのあとしばらくして
あのようなことが起きるとは、当然のことながら想像していませんでしたね。
今自分の記憶を辿ると、あの日以降の強烈な記憶のせいでそれより前の1,2か月に何があったかあまり
覚えていないようですが、あの日以降の記憶は結構残っています。特に3/11,12、13に感じたこと、
もう一度自分の中で整理してみようと思います。
あの時の事は忘れられない。きっとあなたもそうでしょう。
あの時どこにいましたか。誰と何をしていましたか。
あの時ほど自分の家族の安否を心配した事はありませんでした。あなたもそうでしょう。
そんな2011年がもうすぐ終わります。来年になっても心の何処かであの時から動かせない部分があって
来年になってもそれが続くのでしょう。あなたもそうでしょう。
お疲れ様でした。今年の最後まで事故ないよう頑張ってください。